こんにちは!むらりです!
ブログをご覧いただきありがとうございます!
私は、”知識ゼロ低収入アラサー独身女”です笑
そんな私が、WEBマーケティングの副業に目覚めた経緯についてお話ししたいと思います。
目標は、副業で1年後に月収20万円以上を稼ぐことです。
結論から言ってしまうと
・どんな状況下でも稼げる力を身につけないと!
・場所を選ばずに働ける力を身につけたい!
・自分で自分の道は切り開いていかないと!
など、お金や人生に対しての不安感が強烈に浮かび上がったためです。
はっきり言います!!
知識ゼロ低収入アラサー独身女
人生最大に焦っていました!
そう、この焦りが私をWEBマーケティングの副業の道へと誘いました笑
なぜここまで焦るようになってしまったのか。
そのきっかけと経緯について、私の自己紹介を含めてお話します。
基本情報
名前:むらり
性別:女性
生年月日:1997年8月13日
職業:食品製造会社 営業&運営スタッフ
好きな食べ物:エスニック料理、ビストロフレンチ
好きな飲み物:お酒(好きすぎてワインソムリエを取得)
趣味:旅行、美味しいものを食べること
資格:普通自動車免許
大量生産型のアラサー独身女です…笑
幼少期:周囲からの言葉によるレールの形成
私は愛知県で大正2年より続くかまぼこ屋の娘として生まれました。
ありがたいことに、どちらかと言えば裕福な家庭だと思います。
祖母、父、母、兄と穏やかに過ごしていたのですが、
言うなれば”老舗”を背負った私と兄。
周囲からは
兄がかまぼこ屋を継ぎ、
私はお金持ちの男性と結婚して専業主婦として生きる
と幼い頃から言われていました。
ずっとそのように言われていた私の将来の夢は
お金持ちさんのお嫁さん
でした笑
このようにして
私は、幼少期より”周囲が期待する”人生のレールの上を歩き始めました。
中学生〜高校生:自分を押し殺すことで完成する平和
勉強が得意でなかった私でしたが、
親からの言いつけ通り、中学受験に挑みました。
入学した学校は偏差値38〜42の女子中高大一貫校でしたが、
県内でも3本の指に入る”お嬢様学校”。
爪の長さも、制服の中の下着の色にも指定があるような学校で、
花嫁修行のような授業も多かったです。
中学校・高校とメンバーも一切変わらなかったため、
狭い価値観の中で思春期を過ごしました。
私が過ごしていた小さな世界では”みんなに合わせる=協調性だけ”が重要視されていて、
変に目立つとイジメを受けたり、先生からお叱りを受けました。
実際に、「この世界では協調性が何よりも大事」と知り、
自分を押し殺すようになったきっかけがあります。
最初は些細なすれ違いで、親友の誘いを断ったことから始まります。
その次の日から親友は口を聞いてくれなくなり、
翌週からは漫画やドラマにもなるような酷いイジメを受けるようになりました。
すれ違い様に暴言を吐かれたり、靴箱に嫌がらせをされたり、複数人に呼び出されたり…
ですが、助けて!と思った時に頼った先生に言われた言葉は
「あなたの言葉なんて信じられるわけないでしょ。
私に恥かかせないで。親御さんにとってもあなたは恥ずかしい存在。
クラスのみんなに悪影響。」
という辛辣な言葉でした。
先生がこのように発言した理由は、
私がいつも学年最下位で、クラスからも異質な存在だったからです。
みんなと同じように勉強をすることはないし、授業中も遊んでばっかり。
その頃の私の辞書には”協調性”なんて言葉はなく、
目立つ存在ではあったかもしれません。
先生からは見放され、親友からはいじめられ、
この経験で私は周囲の視線が怖くなり、目立つことに恐怖を覚え、
周囲に合わせるということに徹底するようになりました。
イジメを受けた理由も
私が自分の意見を主張して、親友の誘いを断ったことが駄目だったんだ
と思うようになりました。
中学生時代に学んだことは
自分の意見を言ったり、目立ったりすると、この世界では生きることができない
ということでした。
誰かが「ここいく〜?」というと「いいね〜!」と言い
「可愛くな〜い?」というと「めちゃくちゃ可愛い!」と言う
YESマンになってしまったのです。
友人にも先生にも自分の本心は出さず、
ニコニコして、愛嬌だけ振りまいて、同調して。
誰にでも好かれるように、周囲と同じ選択をして生きることで、
私の平和は保たれました。
大学生:培った協調性で送る年齢とは不相応の日々
私は大学もエスカレーター式に上がったため、周囲のメンバーは全く変わらず、
狭い世界が変わることはありませんでした。
さらに、アルバイトも両親から紹介で、
私の中高大時代の大先輩が経営する飲食店で働くという
あいも変わらず親の言いつけを守るガチガチのレールの上の生活でした。
その飲食店は、愛知県でも有数のお金持ちの方々が集まる場所でした。
中高生時代に培った協調性によりお客様の発言にそれなりに合わせることができ、
人から好かれるために身につけたリアクション能力、
そして、商売人の娘として必要だった愛嬌により
私はありがたいことにお客様方からお食事に誘われる機会を沢山与えていただきました。
この年齢では絶対に体験できないような高級なお食事やお酒を
毎日のように楽しむことができました。
大学生での毎日楽しく、華やかな生活から私は
周囲に合わせて生きていれば、何も不自由なく、
こんなにも楽しい生活が送れる
と強く感じるようになりました。
中学生、高校生、大学生と
目の前の人に合わせておけば、みんな同じように、
むしろそれ以上の生活ができていたのです。
ですが、”1つ”私の価値観を揺さぶる出来事がありました。
私は大学でフランス語を専攻しており、フランスに留学する機会に恵まれました。
フランスで私が最も仲が良かった友人は同い年の”シリア人難民”の子で
フランスに家族と命からがら逃げてきた子でした。
彼は同い年でありながら、戦争を体験していて、
友人や学校の先生など周囲の方々を戦争で亡くしていました。
街を歩いていたらミサイルや鉄砲の弾が飛んでくる世界を皆様は想像できるでしょうか?
私はその話を友人から聞いた時、
薄っぺらい言葉しか出てこない上に、何の行動もできない自分に落胆しました。
私はその友人に出会い、共に過ごしていく中で、彼に何もできなかった分、
将来は誰かを助けることができる人間になりたい
と心の片隅で思ったのです。
新社会人:人生のメンターに出会う
私の大学は”地域性の象徴”で、沢山の地元企業より事務職での推薦がありました。
推薦でなくても、事務職は私たちの大学からしか採用しないと言う企業も…
愛知県という土地柄、機械メーカーが強く、私も前に習えで
機械メーカーの事務職として働き始めました。
そして幼い頃より周囲から言われていた、
お金持ちと結婚する
ということだけをただひたすらに追い求め、働いていました。
友人達も「早く結婚して会社を退職する」と言っている子達が多かったのですが、
皆は、言葉通りどんどん結婚していきました。
私はというと、結婚相談所にも出会い系アプリにも登録し、合コンなどにも積極的に参加しましたが、なかなか思ったような男性と巡り合うことはできませんでした。
今考えると、大学時代の恵まれた生活によって
相当男性に対するハードルが高かったのだと思います。
そして、年齢が上がるにつれて、かつて豪華な食事に連れて行ってくださっていた方々も
誘っていただけなくなりました。
かつては人に合わせていたら、あんなにも華やかな生活ができていたのに、
事務職で出世もなければ低収入で、結婚からも程遠い自分。
次第に、結婚報告や、出産報告、出世の報告、
キラキラしたInstagramに対して不安を感じるようになり、
Instagramを開くことが怖くなってしまいました。
そして、Instagramを消去してしまったのです。
SNSに対して、異常なまでの恐怖感を感じるようになってしまいました。
そして、友人達とも距離を置くようになりました。
そんな私にさらに追い打ちをかけるように、悲しい出来事が起こります。
母親が病気になり、入院することになったのです。
幸い重い病気ではありませんでしたが、
この出来事により、突如として両親の老後を意識するようになりました。
「何かあった時のために」と老人ホームやケア施設などを検索したところ、
そこには私の想像のはるか上を行く価格が表示されていました。
また、幼い頃より「家業を継ぐ」と言われていた兄は興味なく、別の仕事をしていたため、
家業がふと心配になりました。
「もし父親も倒れたら、この会社はどうなるのだろうか」
「もし生涯独身だったら、今の収入で両親の老後を養ってはいけないし、でも経営わなぁ」
そんな思いは浮かんではくるものの、家業を継ぐと言う一歩が踏み出せませんでした。
なかなか結婚相手も見つからない焦りと共に
急に金銭面や人生に対しての不安が一気にどっと押し寄せてきて、
「今まで人と合わせて生きてきたはずなのに、
私と違ってみんなはなんでこんなにもキラキラしているの?」
と絶望感すらも感じるようになり、
「自分はこのままでいいのだろうか…」
そんなことを深く考えるようになりました。
そんな絶望の淵にいる私の背中をある1人の女性が押してくれました。
今では私の人生のメンターであるその方は、
女性社長として、自分らしく自分の思うままに人生を全力で楽しんでいました。
自分を押し殺して、周囲に合わせてなんとなく生きてきた私は彼女を見て、
やっとふと我にかえりました。
周りに合わせてレールの上を上手く生きてきたと思っていましたが、
そもそもレールなんてものは存在しなかったのです。
何も持っていない人生を変えたい!!と強く感じ、
自分を客観視するためにメンターから教えてもらった通り、現状を紙に書き出したときに、
母親や父親を支えたいという思い
「自分もメンターのように強い女性になりたい」という思い
低収入で先のない現在の仕事を続けることへの不安
が浮かんできて、それらが私に家業への一歩を踏み出させました。
”自分を押し殺すことが正義である世界”と私をつなげていたInstagramから距離を置き、
メンターと出会い、自分と違う価値観を学んだことで、
私は初めて自分で自分の道を決意することができました。
転職後①:知識なく独立する愚かさ
ですが、そんなに人生は甘いものではありませんでした。
蓋を開けると、会社の業績は年々右肩上がりではありつつも、
決して「良い」とは言い難いものでした。
なおかつ私が入社した際、世はコロナ真っ只中。
飲食店は悲惨な状態で、飲食店への卸しの収入がほとんど0の状態になりました。
そして、追い打ちをかけるようにウクライナ戦争が始まり、
原材料は全て前代未聞級の値上げが行われていきました。
お客様が望む価格と、原料価格との板挟み状態でした。
そうして、もらえるお給料は年収300万円以下になりました。
将来が不安で転職したにも関わらず、
家業に入っても私は”低収入者”のままでした。
さらにコロナでの外出規制により、
営業活動にも行けず、人脈作り用の飲み会は開催が延期・中止になり、
思うように会社をPRできず、苦しみ、もがきました。
要するに、資格もなく、知識もない私が突然転職したところで、
キャリアアップなんて言葉はほど遠く、むしろ普段の生活すらも厳しく感じました。
「なんて馬鹿なことをしたのか…もう諦めて親が望むように結婚しよう」
とその時にお声がけがあったお見合い話を進めることにしました。
収入も業績も上がらない諦めモードの時に、
なんと急に外で働いていた兄が会社を退職して、
家業を継ぐと言い始めました。
その時に、私の脳裏によぎったのは
「また感染症や戦争、物価上昇など外部的要因が変化した場合、
家族全員が同じ会社で働くことは非常にまずい!!!」
という焦りでした。
コロナなどの外的要因や母親の病気がきっかけで、
家業が揺れ動く姿を見て、兄が家業を継ぐことに強い不安を感じました。
転職後②:WEBマーケティングにより一変した日常
毎日お金のこと、家業のこと、人生のことが不安で仕方がなかった私は、
WEBマーケティングの恩師に出会います。
ですが、出会った当初は「これからの時代、SNS集客がマスト!」と師匠に言われても、
InstagramなどSNSに恐怖心を覚えていた私にとって、
正直なところ、動画を投稿するという行為は簡単ではありませんでした。
ですがコロナや色々な外的要因から希望を持てずにいた私にとって、
藁にもすがる思いでした。
勇気を出して、恩師から教えてもらった方法で、SNS上に動画を投稿したところ
まさかの大バズり!!
営業ができず苦しんでいた頃とは違い、簡単に
日本だけではなく、海外の方々からもリアクションがありました。
コロナ禍で外出規制がかかっていても、
家で動画を制作しただけで、簡単に世界中に知名度を向上させることができました。
WEBマーケティングの素晴らしさを体感したのです。
さらに、私が入社以前より会社のWEB関係を全て行ってくれていた女性が
旦那様の出張によりメキシコに引っ越しすることが急遽決まりました。
約1ヶ月ほどの引き継ぎ作業で、当然わからないことだらけだったため、
当初はその女性がメキシコからサイトの更新などを行ってくださいました。
どこにいてもWEBマーケティングの力は活かすことができるのです。
要するに、
両親が病気になって介護が必要になっても
結婚で夫の転勤により家業と離れても
どんな未来になっても、場所を選ばずに家業を支えることができるのです。
WEBマーケティングは
・ボタン1つで世界中に発信できる
・場所を選ばずにお金を稼ぐことができる
ということを実感しました。
SNSでバズって以来、
WEBマーケティングならどんな状況下でも
お金に困らない力を身につけられる!!
と強い確信に変わりました。
自分の生活を変えたい!!と意気込み
スキルや知識もないまま、突然転職したせいで、
非常にもがき、苦しんだ経験がある私は、このように
働きながら同時に別の収入源を作るためのスキルを身につけることができる副業に目覚め、
さらに働く場所や外的要因に左右されにくいWEBマーケティングで
1年後に副業で月収20万円以上を目指すことを目標にしました。
最後に
私は自分の理想の未来へ進むために、
これからWEBマーケティングを副業にして
1年後に月収20万円以上稼ごうと思います。
今まではなんとなく周囲と合わせていても楽しく生活できていたはずが、
気がつけば結婚にも程遠く、低収入で、
知識も何にもないという方も少なくないと思います。
「結婚」「転職」「親の介護」「自分自身の体力の低下」など…
アラサーは「人生の分岐点」とも言われるように
どんなことが身の回りに起きても不思議ではないのです。
だからこそ、
どんな選択でもできるような、自分の道は自分で切り拓いていけるような、そんな力が必要なのです。
私はこれから、必要なプロセスを踏み、理想の未来のためにWEBマーケティングを学んでいきます。
その過程をご覧いただき、私と同じように、将来や今の収入へ不安を感じているのにもかかわらず、周りと合わせて生きていきたために知識もなく、仕事を選ぶことができずに苦しんでいる方々へ、自信と勇気を届け、今の現状から皆様を救いたいのです。
これは私がシリア人難民の友人を”苦しみ”から助けることができなかった後悔から、
「今度はちゃんと、苦しんでいる皆様を必ず助けたい!」と強く感じているからです。
そして、いずれは皆様が理想の自分になるためのサポートをしていきたいです。
副業でWEBマーケティングの力を身につけて、その力を伸ばしていけば、
将来は在宅で、外部的要因にあまり影響を受けず、
そして確実に収入も上げることができます。
簡単なことではありません。
ですが、これは無謀な挑戦ではありません。
こんなふうに書いていますが、現在の私はただの”知識ゼロの低収入アラサー独身女”です笑
「WEBマーケティングを副業にして1年後に月収20万円以上を稼いで
収入の軸を2本化し、自分の力で道を切り開いていくことは可能なのか」
実際にこのWEBサイトで検証していくので、実験台としてご覧いただければ嬉しいです。
よければ、定期的に私の成長記録を見に来てください。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました!